「自分の死」は存在しない
「自分の死」は存在しません。
なぜならいまだかって あっ、オレ死んでるわ。って気付いた人はいないから。
(いたらすいません。)
自分の周りにいる人たちの「死」は存在します。祖父母の死、両親の死、知り合いの死etc... けど自分の死というのは絶対に存在しないんです。
なんでこんなこと言っているかというと、今の世の中が根源的に死への恐怖を原動力に回ってるって感じることが多いから。権力者はあらゆる施策にこの「死」のイメージを巧みに織り交ぜながら民を押さえつける方法をとってきました。経済もそう。
35年ローンで家買っといたほうがいいですよー。
国のためにちゃんと働いてもらわないとだめだから学校行っといてよー。
保険かけとかないとまずいですよー。
(セールスの人って将来の危機をあおるのホントにうまい。)
会社に入って守ってもらわないとだめですよー。
共同体に参加しとかないと孤独死しますよー。
何とかなるときはなる。ならないときはならない。死ぬときは死ぬ。(それも自分では気づけない。)
だから今を目いっぱい楽しんじゃえーってホントに思う。一部ではこの「楽しむ」という原動力を重視する人たちが増えてきていると思うので、社会の風潮も徐々に変わっていくのではないだろうか。せっかく素晴らしい時代に日本という場所で生きていられるのだから。
ありがとうございます。