文字を書くと災いを招く?
まだ社会がこんなにごちゃごちゃしていなかった大昔に文字は出てきたんですが、一つ一つの単語の意味を深く考察しているとほんと気づきが多いんです。
例えば、spell。
一般的にはspellってのは
’文字を綴る’
って意味でよく知られていますがじつは
’呪い’
って意味もあります。
昔の人の感覚では文字を綴る感覚と、呪いの感覚は一緒だったわけです。
他には災いをもたらすって意味もあります。
Borrowing such much money will spell financial disasters.
(そんなにたくさん金を借りたら破綻するぞ。)
文字を書かなければいけない状況ってどんな時でしょうか。
この状況を後々まで残したいっていう人間の執着なわけです。そのことを昔の人は感覚的に分かっていた。
執着は結局呪い=災いとなりますよと。
あとに残そうとする執着としては写真もそうですね。せっかく旅行に来ているのに写真パシャパシャに忙しくてその瞬間を味わえない...。やっぱり呪いだわ(笑)
この世界は流れて循環しています。その瞬間、今を味わうことに意識のシフトをしたほうがいいのかもしれません。
ありがとうございます。
オレ達はどうしてこう不機嫌なんだ....
人間の自我の形成を見事に描き切った名作「ICHIGO」。
ICHIGO 第9巻 六田登
ある登場人物が死の間際、こんなセリフを吐きます。
「なんに...しても...オレ達は...どうしてこうー....不機嫌なんだ...」
さすがです。これは人間を注意深く観察していないとつくれないセリフだと思います。昔ある哲学者が人間の一番の罪は不機嫌であると言っていたそうですが、ここなんですよ、すべてのポイントがここにある。
湧き上ってくる感情に実はいい悪いはないんです。
腹に湧き上ってくるなんかもやもやした感じ。そのもやもやした感じに脳がレッテルを貼るわけです。
ではどうすればいいかといえば、このもやもやした感じを感じ切ればいいのです。そうすれば必ず、このもやもやした感じは抜けます。
自我というのはいうなれば、この「脳のレッテル貼り」なわけです。この自我は個人が生きてきた環境によって様々な形成のされ方があり、これが有史以来いろいろな「人間ドラマ」を展開してきたのです。
エンターテイメントで映画や小説を楽しむ分にはいいのですが、私個人としてはこの世のこのシステムに気付いてからは、平穏な日々が続き、本来の自分(仏教でいう空だとか、精神世界でいうハイヤーセルフ)に戻れた気がします。
喜怒哀楽、人間ドラマ、すべては個人の趣味なのです。
ありがとうございます。
人間の自我とは何か?ここに答えがある。
日本の漫画は世界的に評価されているといわれていますが、埋もれている名作はまだたくさんあるわけです。
小説ではドフトエフスキーの「罪と罰」や「カラマーゾフの兄弟」なんかは世界的な名作なんて言われてますが、ちょっと小難しくて、読みにくい面もあります。そういう難しい思いをしなくても、こんな身近に人間の自我の本質に迫る名作が埋もれているところに日本の漫画の奥深さを感じさせます。
生後間もなくの大病、
里子に出され親のぬくもり知らぬ生活、
吉野の山の深い闇、
祖父亀吉の冷たい態度、
これらは一期に
世界は基本的に悪意に満ちたものであると教えた。
六田先生は「F-エフ」で知っていました。すごい人間ドラマだなって当時読んだときは感銘を受けたものですが、この「ICHIGO」では人間の自我とは何か?の答えを出してしまったような印象を受けます。これほどの洞察力を発揮するには、相当人間観察をされたんだと思います。
昭和の歴史に沿った哀愁あるストーリー展開も心にきます。六田先生は大阪出身だったのですね。
ありがとうございます。