違和感の氷解
小さいころからずっと疑問に思っていた。
なぜ人間はわざわざめんどくさいことをしているのかと。
分かりやすく言うと、人間に必要な最低限のことって、食べて、寝て、着るものがあって雨風を防ぐ住居があればそれでいいじゃん、ってこと。
単純であったであろう生物の生は人類の発生によって複雑化を増す。人類は調理をして食事を取るということを覚えてから消化にかかるエネルギーが少なくなり、その余ったエネルギーが脳の活動に使えるようになってから、余計な行動をとるようになった。
余計な欲を持つようになり、その欲は拡大し、また細分化していった。その最たるものが他人を支配し思い通りに操りたいというものであり、戦争や身分のヒエラルキーが生まれた。
単純に生きていちゃだめなの?という問いはもう通用しなくなってしまったのだ。他人を意のままに操りたいという権力者たちは様々なアイデアをひねりだす。
上記はある書籍との出会いで気付いた自身の違和感の分析である。
タオ・コード―老子の暗号が語り出す 性の五次元領域から迸る秘密の力 (5次元文庫)
- 作者: 千賀一生
- 出版社/メーカー: 徳間書店
- 発売日: 2009/02/11
- メディア: 文庫
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トンデモ本だろうと、暇つぶしで読んだ本にこんな気づきがあるとは。
世の人々が尊ぶ仁義(人としての規律、道徳、倫理など)は人としての本来のあり方が失われたゆえに必要とされるようになったものだ。(ゆえにそれらは人間に真の幸福をもたらさない。)
他の生物は必要最低限のことしかしません。それが本来の姿です。ひとは本来特別な計らいがなくても平和に穏やかに生きていたはずなのです。そのことを踏まえると逆説的に考えれば、規則、道徳、倫理などがあるために争いが起こるというわけです。人類は本来の姿に立ち返っていくしか残された道はないというわけです。
ありがとうございます。